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感想


 聘礼志には、「貨幣が身を厚く取り囲っていれば徳を傷つけ、財物が多ければ礼は尽き果ててしまう。礼であるこれは礼であると言っても、それは宝石や織物のことばかりではない」とある。また、詩経 小雅・魚麗篇にも、「礼としての贈り物に 全てのことが現れている ただ本当に みなよく整っている」とある。しかし、それが時勢に適っておらず、敬いによって飾られているわけでもなく、喜ばれるものでないのならば、いかに全てのことが現れていようとも、礼とは言えないのだ。


 水場を進む人は、深い所に目印をしておいて、人がそこに陥らないようにする。民衆を治める者は、乱れに目印をしておいて、人が迷わないようにする。礼とはその目印のことである。先王は礼によって天下の乱れに目印を付けた。今、礼を廃止しようとする者は、目印を取り去ってしまうのだ。だから、民衆は惑い迷って禍と患いに陥る。これが刑罰の多い理由である。


 舜は「私が自分のしたいようにしても治まる」と言った。だから、礼が生まれたのは、賢人より以下庶民に至るまでの人のためであって、聖人のためではない。そうであるけれども、礼はその聖を成すために必要なものだ。学ばなければ成すことはできない。堯も君疇に学び、舜も務成昭に学び、禹も西王国に学んだのだ。


 五十ともなれば体力が衰えて喪の礼を全てはやらない。七十となるとただ喪服を着るだけだ。


 親迎の礼。(結婚式で子が妻を迎えに行く礼)
 父は南に向かって立ち、子は北を向いてひざまずく。
 父は酒を一口飲んでから、子に「行ってお前の妻を迎え、我が家の先祖を祀ることを続け、尊敬を忘れず大事に扱うことで皆を導き、お前の母のしてきたこを受け継がせるのだ。そして、お前は長く取りた持つべき振る舞いというものを忘れることがないように」と命じる。
 そして、子は「分かりました。ただ自分がそのことを全うできるかどうかだけが心配です。しかし、その言葉を忘れることはありません」と答える。

十一
 行いとは、礼を行うという意味である。
 礼というものは、貴い人を敬って大事に扱い、高齢の人には身を尽くして、先輩には従順に従い、幼い者には慈しみを施し、賤しい人には恵みを与えることである。

十二
 自分の家で褒美を与えることは、国家で表彰を行うのと同じであり、奉公人をしかりつけるのは刑罰を用いるようなものである。

十三
 君子がその子に接する態度について、子をいかに愛していてもそれを顔に出してはならず、仕事をさせてもねぎらうことをせず、子を導いても無理強いはしない。

十四
 礼とは、人心のうちでも善ことに和することを根本とする。だから、礼経に書かれていないことも、人心のうちで善いことに和することなら、それは全て礼なのだ。

十五
 礼の大まかな凡例。生まれたことに接するときは喜びで飾り、死を送るには哀しみで飾り、軍隊は威風で飾る。(軍隊の根本は強さでなく威風である)


まとめ
http://d.hatena.ne.jp/keigossa/20130104/1357283885


解説及び感想

■特筆すべきことはないが、論語のこの部分だけを紹介したいと思う。
論語 八佾第三より
子夏が「詩経には、『笑ったときに口の付け根がほがらかに上向き、目はぱっちりして美しい。それも素地があるからだ』とありますが、これはどういった意味ですか」と質問した。
孔子は答えて「絵はキャンパスを整えてから描くものだ」
子夏「礼とは後のものですか」
孔子「お前は私を起こしてくれる。初めて、お前と詩について語ることができた」
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